主婦美術研究

母親になったアーティストが、志し半ばで果てないために…

無意識にいつもそうなる

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昔、デザイン科の美大受験生の時、予備校で描く平面構成は、いつも白黒コピー機にかけると一面同じ灰色になった。色彩が異なっても、彩度が毎回、画面の中で同じになってしまうらしく、いつも同じテイストなのだ。

絵という絵を描かなくなって10年以上経つが、今回は仕事で30時間くらいかけて、畳一畳分くらいの絵を描いた。正直、描き終わった、という事実にしか達成感を少し感じただけで、絵が良い、好き、とかどうも思わないな、と気がついた。

それは顔ハメ看板で、5校の中学校の美術部にも看板を作ってもらい、全部で9枚あるものを、内側を円形状に繋げて、オブジェに仕立てた。

顔ハメ看板は、はめる人の顔が主役になり「どう?見て♡」という感じに、はめる本人は写真を撮られる、というパターンが普通である。でも、この看板は、顔をはめると、その目の前に広がるのは、いくつもの違う顔がはまった、色々な絵の看板。自分が何かの絵に顔をはめていることをすっかり忘れ、顔ハメの穴は、のぞき穴と化す。

 

この看板は、参加してくれた中学生の住まう地域を「考現学」という手法で、調査し描いたものである。考現学今和次郎路上観察学会赤瀬川原平という流れを知っている人が、この作品を「顔をハメないと顔が見えない顔ハメ看板。宇宙の缶詰(by赤瀬川源平) の斜め上を行ってる。#犬飼沙絵」とFBに投稿してくれており、とても嬉しかった。初めて、FBでハッシュタグついたかも!いえいえい!〜

まあ、知らない人にとっちゃハ〜?という感じだが、簡単に説明すると、その缶詰は、ラベルを内側に貼って閉じられているという缶詰なのだ。ということは、私たち側が中身?中は!?という不思議な作品。

ああ、それに似ている。看板のコンセプトとは少し違うが、なんだか意地悪さ具合が似ている。見た目も。

鑑賞者を作品の一部にしてしまう。
私が関わる作品は、そうやって人を巻き込む形になる。

いつも無意識で、そうなっている。

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色んな条件が盛り込まれた、行政の委託の事業が、本当にこんがらがった糸を3秒でほどきなさい!と言われているくらい難解で、プロセスを含めた全体を評価するなら、100点満点中、3点くらいの評価しかできない。けど、たぶん、それは5点満点中という評価を最大でしか出せないような仕組み、であったのだと思う。根本を改善できるような反省をまとめなければ、ね。