主婦美術研究

母親になったアーティストが、志し半ばで果てないために…

ノートに吐きだす前に

たぶん、私という人間は心も行動も結構直球すぎて、策士というものを上手にできない。

そんな私らしさを「いい」と言ってくれる人々がたまにというか、私の周りにはいてくれている気がする。

昨日は策士が上手な人と、、、考えてみれば、、、正直にいえば、、、密談!?のようなものをした。って後で気がついた。たぶんその方は自分が生きてきて、積んできた経験の上から、そういう職人のように細かい細工が大事だとわかっての行動なのだろうか。おーだから小細工、という言葉があるのか。なんか小細工って底の見える策略らしいが、そういう細かいことができるのはどちらにせよ、すごいことだと思う。学生時代の私なら、小細工にも薄々わかっていても丸め込まれることだらけだったと思う。出会う人の事を、全員鵜呑みしていた鳥の私。

 

昨晩は、その30分くらいの会話で、色々な衝撃をじわじわと感じ、おそらくこの地球上か日本上には、そういう価値観をもっている人が半分以上いるような気がして、なかなかのどうにもならなさに、ぞわぞわした。ってどうにかしようとしているところは相変わらず自分らしい。そんな頭のまま、夜を迎えたので、21時が過ぎているのにも気付かず、ずーっとぐるぐる考えていたら、いつもは床についているのにお風呂にも入っていなかった子供達がうぎゃうぎゃ言い出した。あーやってまった。夕飯のお皿やキッチンも片付け終わってない。何が気になってしまうと、いつもこうなのである。しかし、こういう現象はもうあきらめる?認める?普通、と思うことにしよう。これで家の事も気持ちよくできていたら、最高ではあるが、考え出したら止まらないのだ。私なんぞが世の中を変えようとしたって何が変わるんだって若い頃からよく、今流行りの自己肯定力を破壊に粉砕に、散々されてきたけど、その粉々なマインドを最近再生ガラスのような感じで、自分を客観的に愛でれるようになってきたと思う。まあガラスなのでまたすぐ破壊される。昨日もひびくらい入れられた。でも私は金継ぎしたり、自分でさらに破壊し、再生させるを繰り返し、みごとな珍しい濁りガラス成長していく自分が目に見えて言えるのだ。

 

しかし、やはり理解したくない相手を、まず自分が好きになり受け入れる、というのはとても大事なことだと思う。それは、自分を相手に認めてもらう、第一歩である。全てはギブアンドテイク。だから、トゲトゲ言葉を上手に使わないといけないと思う。(最近、フワフワ言葉とトゲトゲ言葉というのが教育現場でよく見かける)でも、やっぱり何かを変えていくにはフワフワだけでいいのだろうか。時代は、フワフワだけで行こう!みたいな感じはする。物は試しだ。フワフワに専念してみようかな。でも、根っからのトゲが、綿を突き破って出てきてしまうのだろう。うーん。。。フワフワな人にいっぱい相談してみよう。

 

転んだ時に、転がったまま「シッパイバンザーイ」って言える、精神力で行こう。

あー恐ろしいな自分。

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私が食べたてきた焼き菓子の中でピカイチなお菓子を作る、aie(あいえ)の私の顔だよクッキー。しかも過去と現在。さいっこーの出来です♡写真は焼く前だけど、こんな記録も撮ってくれてすごいパティシエでっせ。