主婦美術研究

母親になったアーティストが、志し半ばで果てないために…

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帰ってきました、心の故郷オオサカ〜!

 

タピちゃんの実家は大人の数が4名いてる。内1名は94歳の要介護であり、内1名は33歳のニートである。

圧倒的に大人の数が子供より増えると子育ては物理的にも精神的にも楽である。ただ、子どもと心と心を突き合わせて向き合う、というようなことが、大人の数が多いと、しにくい、というか、する機会、タイミングがほとんどなくなってしまう気がする。あまり良くない感じの表現をするなら、大人の数=テレビのチャンネル数、みたいな。もしも、テレビが1番組しか映らなかったら。もっと一生懸命番組を見るかな?見ない時は見ない、って気持ちにもなるだろう、はっきりと。ただ6番組あったら、1つCMになったら他に変える。一人の大人に怒られ始めたり、宿題やらないの?とか言われると、他の大人の所へ逃げる。言ってた大人も他の用事や他の子供の世話や、よっぽどのことでない限り、何度も逃げられるのをしつこく追っていって、話を終わらせるということをしなくなる。それを繰り返していく日々。大人へとなっていく子。いつの間にか、親と子の心の間には、フェードアウトで慣れきった、簡単には修復しきれない関係が出来るかもしれない。

そう思うのは、長男がまだ幼稚園に通う前、あれは7年前くらい。大阪で一人友人が出来て、その人だけに支えられて生きていたような感じの時。原因不明で毎日大泣きし続ける長男に、仕事でほとんど家にいないタピ。親戚一人いない大阪の地。支援センターで予約制の子供と遊ぼう的なイベントへ、その友達と行った。参加者は10組いないくらいで、途中、輪になって床に座り、今の子育ての悩みをセンターの人へ話す時間があった。みな、子供がなかなか寝てくれない、食べてくれない、おもちゃを片付けてくれない、とかそんなような悩みを口々に言っていった。私は、なんだその悩みは、とイライラしていた。私の番になり、「ニュースで子どもを殺してしまう人の気持ちがわかるようになった」と言った。そして涙が出ていた。そうすると、話を聞いていたセンターのおばちゃんが「私は子育ての時、祖父母も一緒に住んでいたから、とても楽だった。けれど今、子供が成人する頃になって、何か一言では言えない子供とのミゾが出来てしまって、どうにもならない。そのミゾは、とても長い時間かけなければ埋まらないし、もう一生埋まらないかもしれない。だから、今あなたは本当に辛くてどうしようもないと思うけど、それは子どもと1対1で、向き合っているからこその辛さであって、こんなこと言うのもあれだけど、私はとてもあなたが羨ましい、私もその頃に戻れたらなって思う」と言ってくれた。その言葉は、どんな励ましや、共感よりも、心に響いた。そして横を見ると、一緒に来ていた友人も涙を流してくれていた。人前や旦那の前でも泣くような人ではないのに。

私と長男は随分長く1番組を観続けた。思い出したくもないくらい酷いことを言ったり、手が出た時もあった。それは子どもがよっぽど悪いことや危ないことをしたのではなく、私の心がギスギスだったせいだ。それでも、その1体1の時間は既にかけがないのない時だったな、と思える。そう思えるのは、やはり1対1だから、いくら酷い日であっても、最後の最後にはそれを修復しようという行為がお互いにあって、しっかり終わっていた、というのが大切だったんだろうなぁ。番組を変えるリモコンすらなかったから、良かったんだ。って本当のニュースにならなかったから言えるのである。やはり、違う番組でないにしても、私も子も本とか外とかテレビ以外の少しでも離れる場は絶対必要であった。それは一時保育だったり、帰省の時の祖父母のところ。いないも同然だったタピが見てくれる日。それが無くて1対1は、とっても危険だ。

この冬休みは、子どもらはニートチャンネルが大好きで、いつもタピの在所に行く前と後では、子供が別人に見える。(自分と向き合うことがいつもの1割くらいしかないから)しかし子どもらの悩みは、ニートチャンネルは昼を過ぎないと始まらないことだ。

 

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